ゴミを捨てるという行為

綺麗な海というのは実質全体の海の何割程度のものなのでしょうか。日本をはじめ、世界各国の海岸では大量のゴミが漂流している現実を考えると、人間が思っている以上に海は汚れて取り返しがつかなくなっているのかもと思うことがよくあります。

しかも漂流物の中には有毒物質も含まれている可能性もあり、健康を害する恐れさえあるというのですから、なおさら穏やかではありません。日本の日本海沿岸では、アジア大陸方面から漂流してきたとポリタンクが無数に海岸に流れ着いており、タンク内には危険な溶剤が入ったままのものも少なくないそうです。

大人であればそのゴミの有害性が人目で判断できるかもしれませんが、万が一それが海岸で遊ぶ子ども達の興味対象となったとしたら。遊び道具として利用して大変な事故を招いてしまう恐れがあることでしょう。

しかし、こういったポリタンクのようなゴミは一体どのようにして捨てられてしまうのでしょうか。海岸からじかに海にポイ捨てしているのか、それとも船で沖合いまで移動し、そこで海に投げ捨てているのでしょうか。いずれにせよ、同じタイプのゴミが大量に漂流しているということを考えると、作為的に捨てられていると判断するのは容易なことでしょう。

人は昔から「母なる海」といったような、海を偉大なものと称える表現をしてきたというのに、一体いつどこで人間はその称える対象を躊躇いも無く汚すことが出来るようになってしまったのか。実に悲しい限りです。

海でないにしろ、ゴミを適当な場所にポイ捨てするという行為自体、同じ人間のする行為なのかと目を疑いたくなります。車で道を走っていれば、前の車が窓から煙草の吸殻や空き缶を平気で捨てます。公園でバーベキューを楽しむ人は、平気でその場にゴミを置いて帰ります。これらは日常的に出来事ではなく、本来はかなり異質な出来事なのです。

その異質な行為を行なって何とも思わない実行者、それを見ても何とも思わない周りの傍観者、そしてそれを見て、異質と感じていながらも何も指摘することができない自分にも苛立ちを覚えてしまいます。

私は時々、自分への苛立ちに我慢できなくなり、夜な夜な大きな袋を持って近くを歩き、ゴミ拾ってまわっています。

「私が拾った煙草の吸殻一本が地面からなくなることで、地球は確実に綺麗になっているんだ」

そう考えると、少しは自分への苛立ちが解消されるんです。



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