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二輪の明るい兆し

日本の二輪メーカーは「ホンダ」「ヤマハ」「スズキ」「カワサキ」と、国内四大メーカーが大きく幅をきかせていますが、その中でも最も大きな活躍を昨今見せつけているのは間違いなく、ホンダと言えるでしょう。

これまでホンダは、戦後以降数多くの名車を手掛けて発展してきましたが、ここ数年は新しいホンダへと生まれ変わろうとしているかのような新鮮な次世代車両を次々発表しています。

無断変速システムを採用したニュータイプATクルーザーの「DN-01」。アジア全体から欧州までをもターゲットとし、アイドリングストップまでも採用したエコシティコミューターの「PCX」。デュアル・クラッチ・トランスミッションを搭載したエンジンをパワーユニットとして迎えた「NC700シリーズ」。このように、他の国内メーカーを置いてきぼりといわんばかりの新開発を続け、しかもさらにお手ごろかかくで提供するという展開を見せています。

確かにラインナップを続ける全てが市場に出て受け入れられるかといえば、そうではありませんが、次々とユーザーに新しい技術を提供して楽しませてくれるというのは、新しい時代の二輪のあり方を示しているかのようで非常に楽しみであります。

現在の日本のベテランライダーの多くは、ハーレーダビッドソンやBMWといった海外メーカーの大型バイクに興味が向いてしまいがちの状況です。長い歴史や味を伝承する車両や、ブランドネームの力が強大だからです。

しかしそこに、未来に目を向けて次々と新型車量を生み出すホンダに触発されて二本の二輪メーカーの温度が高まれば、今再び日本製バイクの素晴らしさを日本のライダーに思い出させることができるかもしれません。

世間的な見方では、日本の二輪業界の未来は暗いというムードが漂っていますが、私は意外とそんなことは無いのではと思っています。

確かに相次ぐ規制の嵐でパワーダウンや生産終了を余儀なくされてはいますが、その代わりに新しいパワーユニットの方向性にも力が入るようになり、電動車両についてもクルマより一足先に街で多く見られるようになりました。

これまでどおりの従来のバイクのあり方は廃れていくでしょうが、決してバイクという二つのタイヤを有する乗り物事態は絶対に廃れることは無いでしょう。需要は必ずありますから。

夜だって夜明け前が一番暗いといいます。二輪業界の暗さも、近い将来明るく輝く兆しだという見方が、正しいのでは?

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ゴミを捨てるという行為

綺麗な海というのは実質全体の海の何割程度のものなのでしょうか。日本をはじめ、世界各国の海岸では大量のゴミが漂流している現実を考えると、人間が思っている以上に海は汚れて取り返しがつかなくなっているのかもと思うことがよくあります。

しかも漂流物の中には有毒物質も含まれている可能性もあり、健康を害する恐れさえあるというのですから、なおさら穏やかではありません。日本の日本海沿岸では、アジア大陸方面から漂流してきたとポリタンクが無数に海岸に流れ着いており、タンク内には危険な溶剤が入ったままのものも少なくないそうです。

大人であればそのゴミの有害性が人目で判断できるかもしれませんが、万が一それが海岸で遊ぶ子ども達の興味対象となったとしたら。遊び道具として利用して大変な事故を招いてしまう恐れがあることでしょう。

しかし、こういったポリタンクのようなゴミは一体どのようにして捨てられてしまうのでしょうか。海岸からじかに海にポイ捨てしているのか、それとも船で沖合いまで移動し、そこで海に投げ捨てているのでしょうか。いずれにせよ、同じタイプのゴミが大量に漂流しているということを考えると、作為的に捨てられていると判断するのは容易なことでしょう。

人は昔から「母なる海」といったような、海を偉大なものと称える表現をしてきたというのに、一体いつどこで人間はその称える対象を躊躇いも無く汚すことが出来るようになってしまったのか。実に悲しい限りです。

海でないにしろ、ゴミを適当な場所にポイ捨てするという行為自体、同じ人間のする行為なのかと目を疑いたくなります。車で道を走っていれば、前の車が窓から煙草の吸殻や空き缶を平気で捨てます。公園でバーベキューを楽しむ人は、平気でその場にゴミを置いて帰ります。これらは日常的に出来事ではなく、本来はかなり異質な出来事なのです。

その異質な行為を行なって何とも思わない実行者、それを見ても何とも思わない周りの傍観者、そしてそれを見て、異質と感じていながらも何も指摘することができない自分にも苛立ちを覚えてしまいます。

私は時々、自分への苛立ちに我慢できなくなり、夜な夜な大きな袋を持って近くを歩き、ゴミ拾ってまわっています。

「私が拾った煙草の吸殻一本が地面からなくなることで、地球は確実に綺麗になっているんだ」

そう考えると、少しは自分への苛立ちが解消されるんです。

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今と昔のTV番組

地上波のTV番組の視聴って、どうして有料化にできないんでしょうかね? 私は子どものころからずっと思ってました。というよりも、TVはお金を払わないと観れないと小学生低学年くらいまでずっと思ってました。

だって、あんな面白い番組やニュースがタダで観れるなんて思っていなかったからです。TV一台ずつ、毎月の契約料金というものがあって、それを支払っているものとばかり思っていた私は、大きな恥もかいたもんです。

友だちの家にTVが4台もあったのを聞き「4台分の契約料払ってるの?」と真面目に聞いたことがあり、大笑いされてしまったことがありました。それでそのときに友だちに馬鹿にされて、初めてTVというものはタダで観れているんだと知りました。

それでもなんでTVを観てもお金を払わなくていいのかというのが気になり続け、CMの広告費といった仕組みを知った時ようやく「ああ、なるほどな」と理解できました。

でももし、視聴者がお金を払えば広告費が必要なくなり、CMも無くなって番組が伸ばせるんじゃないかとも子どもながらに考えましたね。バラエティ番組のおいしいところを境にCMを入れられたり、面白い映画の合間にCMが挟まれると、凄く気分が害されたもんです。

で、CMの間違うチャンネルに回していたら、おいしい所を逃してしまったり。CMに対して良いイメージは昔から持っていませんでした。

それから、TVに対するクレーム。あれもおかしなものだと感じました。

高校生の時かな? 凄く面白いバラエティ番組があって、その番組内のコーナーでちょっぴり刺激的な罰ゲームがあったんです。しりとり的なゲームをやり、負けた人は、袋叩きにされるという。当時はあのコーナーが大好きでした。

ところが視聴者のからの「あれはいじめを助長する!」というクレームが殺到し、面白かったコーナーはつぶれてしまいました。非常に残念でした。

ここでよく考えてみたいのが、視聴者はタダで観ているんというところです。お金を払って観させられたものが暴力的だとクレームを入れるのは分かるのですが、タダで観ているものにケチをつけるのはどうなのか。観たくないのであれば、子どもに観させなければよいのにと思いませんか?

今はTV番組の行く末が危ういと問題視されていますが、仕方が無いですよね。広告主に色々言われて、タダで観ている視聴者にも色々言われて、それじゃあ面白い番組なんてできないってもんでしょう。

子どものころは面白かった番組が、今は懐かしいですね。あの頃の番組はお金を払ってでも観たいと思えた番組がたっくさんあったもんです。ただ、今のTV番組ではもう、数えられるくらいの番組しかないですね。

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人ごみは嫌いだけど、人ごみは好き

どうしても馴れないもの、それは人ごみです。私は人ごみの中に長時間いると、人酔いみたいなものを生じてしまうのです。

人酔いというのは、車酔いの人バージョンのようなものです。原因は全く違いますけれども。人酔いの原因は、大勢の人が居る場所にいると大きなストレスを感じてしまうことで引き起こされると考えられています。ストレスを感じて自律神経に問題が生じ、脳への血流が阻害されてクラクラしてしまうのです。人によっては混雑する場所に長く身を置きすぎて倒れてしまう人もいるようです。

もし、人ごみで頭がクラクラするという経験があるという人は、今後気をつけておくと良いでしょう。変な感じがしたら、人ごみから離れて座って休むなど、落ち着く時間をつくると回復できるそうです。

私は倒れるようなクラクラを感じた事はありませんが、人ごみに身をおいていると、気持ち悪くなってしまいます。吐き気といったものではなく、心が気持ち悪くなってしまうのです。満員電車やお祭、テーマパークなと、どうして人はこんなに同じ場所に群がるんだろうと心に疑問を感じ、その一部になっている自分に気持ち悪くなってしまうのです。

そう感じた時はいつも、すぐにその場を離れますし、あらかじめ想定してその場面を避けます。ちょっとでも込んでる場所に居合わせたら人が減るまで座ってまってしまいますし、電車には乗らないし、休日のテーマパークやショッピングモールには近づかないようにしています。

もしかしたら私の場合、ストレス性の人酔いというより、人嫌いなのかも(笑)。少人数でわいわいするのは好きですが、大勢で行動するとなると面倒に感じてしまう性格ですから、きっとそうなのかもしれません。

ただ、自分は一歩引いて、賑わっている人ごみを観察するのは嫌いじゃないんですよね。お祭なんかはまさにそうです。祭の中には絶対に行きたくないですけれど、
ちょっと離れたところに座って往来する人たちを眺めたり人の声や祭の音に耳を傾けるのは最高だと思っています。

遊園地でもそうです。激ゴミだったら、イライラして何にも乗りたくないって気持ちになりますが、座って楽しそうにしている人を眺めるのは悪くないんです。

人ごみは嫌いだけど、人ごみを見るのは好き。なんか不思議な感覚だと自分でも思います。こういうのってどういう思考によるものなんでしょうかね? 何か心理的要因があるのか、気になります。

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眉毛の形って意外と重要

なんだか老けた気がするなぁ…… と、鏡の前で悩んでいる男性諸君、その原因は、眉毛にあるかもしれませんよ。

髪の毛やヒゲやといった毛は定期的に手入れをして入るものの、眉毛を疎かにする男性は歳をとると多くなる傾向にあります。特にそれは、散髪費用を抑えようと顔の無駄毛処理を行なってくれない安い散髪屋さんに通っていたり、自宅で髪の毛を切っている人に多いです。

人間は基本的に相手の目を見ます。そして目に近い眉毛も必然的に目に入りやすくなります。もしこの眉毛が不恰好に伸びて生え揃っていなかったら、年寄りに見られてしまうのです。

老け顔かもと悩んでいる男性がいましたら、一度美容室に行って相談してみると良いかもしれませんよ。眉毛1つで、がらっと顔の印象は変わりますから。

私は年中短髪で、散髪も自宅で自分で行なっています。単発というのは眉毛が特に目立ちます。なので眉毛の手入れも散髪時に欠かさず行なっています。眉間の間の眉毛を毛抜きとはさみで整え、眉毛の尻の無駄毛も処理します。長さは眉毛専用のカッターで整えています。

眉毛の手入れを毎回するかしないかだけで、5歳くらいは見た目が変わるんじゃないかと思っています。あくまでも自己判断なので、傍から見たらどうか分かりませんけれどもね(笑)。

私が眉毛の重要性に気がついたのは、高校生の時でした。あの頃から床屋ではなく自宅で散髪をするようになったので、顔の毛を剃ってもらうという機会が無くなりました。そして眉毛も伸び放題で生え放題。気がついたら不恰好な眉毛になっていました。

それに気がついてからは、眉毛の間やどうしたらよいのか、眉毛の長さはどうしたらよいのかと悩み、試行錯誤するようになりました。錯誤中は何度か失敗はしましたが、それも今では自分に合う眉毛を見つけるための重要なステップでした。失敗した当時は死にたいくらい恥ずかしかったですけどね(笑)。

眉毛を自分で処理するようになって分かったのは、やりすぎないことですね。自分の眉毛のベースを壊すほど手入れをしないこと。そうしないと、毎回の手入れが面倒ですし、見た目にも弄ってる感じが強くなりすぎて恥ずかしいのです。あくまでもナチュラルに。

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男性の晩婚化は良いと思います

若い20代の女性が望む結婚相手の年齢は、年上が良いと望む声が年々高まっているようです。その理由としては、相手に経済的余裕だけでなく、幅広い大人の知識が豊富ということで若い女性にとって魅力的なのだそうです。

こういった女性の考えは昔から多かったとは思いますが、最近は本当に多くなったようです。歳が近い男性には魅力を感じることができなくなっているというのも、その傾向を高めている要因なのかもしれません。

控えめな男子がもてはやされる中で、年齢が高くなると結婚を焦る女性も増え、そうなると結婚に向いている年上の魅力ある男性に興味を移してしまうという流れも想像できます。

また逆に、若い時代に結婚を逃した30~40代の男性が結婚を焦ることもあり、20代女性との互いの良点が重なることで結ばれるという見方もできます。

女性からしたら年上の男性との結婚は安心感が強く、男性からしたら、ある程度仕事の波を乗り越えて落ち着いているので家庭を大切にしやすいでしょう。意外とこの組み合わせは円満家庭を気築くために良い組み合わせなのかもしれませんね。

男性の晩婚化というのは、私個人としては悪くないものだと思います。不況の今、収入も疎かな状態で結婚してもはたして家族を幸せに出来るかどうか、疑問です。仕事で大変だけど、子育てに家族サービスに、でもお金もしつようだし…… と、頭を抱えると想像しただけで、私はゾッとしてしまいます。耐えられる自信はありません。

だったら、一発成功して落ち着いてから家庭を気付き、子どもに伸び伸びと育ってもらえる環境を作り上げるほうが、理にかなってると思うのです。

それに、お世辞にも知識が足りているとはいえない若い夫婦は、世の中びっくりするくらいいるもんです。深夜のファミレスに赤ちゃんを連れてきていたり、汚い暴言を子どもの前で使っていたり。そういう若い両親のもと育つ子どもってどうなるのかな? と考えると、日本の将来さえもどうなるのかと考えてしまいます。

子どもを持つことって、ある意味男の人生終わりの瞬間だと私は思っています。それは決して悪い意味ではなく、子どもができたら、その後の人生は子どもが自立するまでは全てを子どもに捧げる必要があるって思っているということです。

子どもに全てを捧げる準備、今の10代、20代の大抵の男には絶対できていないですよ。

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規則正しい学校風の生活

自分が衰えを感じるのは一体いつ頃なのか。30代に入ったころか、それとも40代か。それ以上やそれ以下の年齢で感じる人もいるでしょうが、大体の人は、30~40歳辺りかと思います。

ですが、医学的な調べによると、人間の多くの器官は60歳近い高齢にならない限りは、目立った衰えがあらわれることはないとのことです。つまり、健康的な生活を送っていれば、高齢域になるまで若々しさを維持することができるのです。

にも関わらず、30~40歳くらいで衰えてしまったと感じてしまうのは、全て生活習慣の乱れが原因にあるそうです。

大抵の人間は10代後半まで、規則正しい学校生活を送っています。朝起きて学校に通い、勉強に運動、そして帰宅。食事も給食でバランスが考えられており、家でも両親がしっかりしていれば、極端な栄養不足に陥る事はありません。

こういった管理された生活サイクルも、成長して学校という組織に関わらなくなってしまうと、全ての健康管理は自分で行なわなくてはいけなくなるため、生活が乱れ、どんどん衰えていってしまうというわけです。

20代でもうボロボロの人もいれば、60歳近いのに元気いっぱいという人がいるというのは、全ては自己管理ができているかいないかの違いなのです。病気のケースは例外ですが。

自分がいつまでも若々しくいたい! 衰えたくない! というのであれば、とにかく生活を改めることが一番ということですね。いつまでも学校に通っている感覚で、食事に運動、勉強を毎日行なうというのも悪くないでしょう。

私も最近、学校生活の偉大さを改めて思い知り、なるべく昔のような規則正しい毎日を送れるように日々努力しています。

朝は同じ時間に絶対に起きて朝食。そして近所をジョギングしてストレッチ。朝の運動は通学の代わりです。家が職場の私は通勤時間が無いので体を動かす場面が無いのです。

運動を終えたら仕事です。学校の勉強の代わりです。そして昼食も給食並みにしっかりと栄養バランスを考えて。

昼食後はお昼休みとして、運動して体を動かします。子どものころはただ遊んでいただけですが、動き回って体をしっかり鍛えていたんですよね。

午後は仕事。夕食の少し前まで仕事を続け、終えたらまた運動して夕食。夕食後は1日の疲れを癒すためにゴロゴロしたり、友だちと遊びに出かけたり、本を読んでゆっくり過ごしたりと自由時間。

そして夜遅くなる前にはお風呂に入って就寝。

こういう規則正しい学校風の生活を毎日意識するだけでも、全然衰えを抑えることができるものです。

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建機が格好良かった子どものころ

まるでアニメのロボットみたいな建機が誕生しました。日立建機は、なんと人間の腕と同じような物を掴んで切断するといった複雑な作業を行なえる2本腕のショベルを有した車両を開発したのです。

これまでの通常のショベル車両といえば、1本の腕が一般的でした。それが2本も腕が備わっているのですから、作業性能の向上はもちろんのこと、見た目のインパクトも絶大です。子供心をくすぐるロボットそのものです。

実際にこのマシンがどのような現場で活躍するのかといった具体的な有効利用法は分かりませんが、もし街中で見かけたらつい立ち止まって視線が釘付けになってしまうことでしょうね。

子ども、特に男の子っていうのは、工事現場の複雑なマシンにやたらと憧れるものなんですよね。私は道を走っているダンプカーやタンクローリー、ショベルカーを積んだ車両を目撃すると、絶対に視線を向けていました。

家の近くに工事現場があると、観察しにも行ったものです。子どもの私の頭からしたらアニメに登場するスーパーロボットやリアルロボットが活躍している風景と重なって見えたため、凄く興奮したんです。

また、建機特有の大きく鈍い音も刺激されました。普通の車のブーンという味気ない音とは違い「グロロロロロ!」というおなかの中が震えるようなあの音の振動は、パワフルで凄く格好良かったんです。

あと、メカメカしい風貌にも目を輝かされました。ショベルカーのアームなんて、動力パイプや伸縮するシリンダーなどは見ているだけで面白かったです。「あれが縮むことであそこが曲がって……」など、想像力を鍛える勉強にもなりました。

キャタピラも好きでしたね。あそこだけ見たら戦車でしたから。1回知り合いのおじさんにキャタピラ車両に乗せてもらったことがあるのですが、もう最高の体験でした。「こんなマシンが操縦出来るなら、絶対に工事現場の人間になる!」なんて夢も描いたくらいです。

でも、月日が経つと、工事現場の仕事なんて楽しさの何十倍も忙しくてしんどいものなんだというのを知ってしまい、熱は一気に下がってしまいました。

今でも、街で建機を見かけると格好良いなぁとは少しは思うものの、子どものころのように目を輝かせることなんてありません。それは建機に対してだけでなく、世の中のものの大半に対してそうです。

そんな自分に気がつくと、子どものころの気持ちに戻りたいなぁ、なんてつくづく思ってしまいます。

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アニメの商品展開

ここ最近のガンダムの商品展開って凄いと思いますね。今年の夏には、アニメ『機動戦士ガンダム』のキャラクターのジオン公国の軍人シャア・アズナブルをイメージした真っ赤な車が、トヨタから発表されたのでした。

ベースになっている車両は、トヨタオーリス。カラーリングはシャアのイメージカラーである赤。そしてジオン公国のエンブレムや角型プレードアンテナ、モビルスーツのバックパックバーニアをイメージしたマフラーエンドなど細部までこだわりを見せる徹底的のつくりで、ファンを熱くさせる十分な代物となっています。

シャアの操るマシンといえば、いわゆる“3倍の性能”という代名詞がつきもの。しかしさすがに車の性能スペックまでも3倍にするのは無理だったことでしょうね。

私もガンダムが大好きなものですから、欲しい!…… と思いきや、そんなことは無いかな(笑)。作品は好きですが、これに乗って街中を走る気には正直なりませんね。

こういうアニメをモチーフにしたものは多くグッズ展開が行なわれていますが、私は全く興味がありません。

子どものころなんかは、ふでばこやら下敷きなんかを、好きなアニメが描かれたものを持ってきている友達がたくさんいましたが、あれも距離感を感じていたものです。あのような行為って、好き感をアピールしすぎって感じがして嫌だったんです。

あからさまに好きっていうのではなく、密かに好きというスタイルが昔から自分の性にあっていたのです。

小学校の頃は、あれこれグッズを学校に持ってきて自慢したり、時には家まで連れ込んで見せびらかしたりするお金持ちのお子様がいました。「うわー、いいなー」なんて子どもながら気を使って言ってはいましたが「僕の方が絶対好きだし詳しいよ」なんて心では思っていたものです(笑)。

ひねくれていたといえばひねくれていたかもしれません。お金が無いから買えなかったというのも、少なからず、ありはしましたから。でも、お金があったらビデオを買ってたかな? 何度も観れるからグッズなんかに小銭を使うより有効ですし。

今の人って、大人でもフィギュアやポスターやなんや、グッズを大量購入している人が多いですが、私には全く理解できません。否定はしないですけどね、好きの形は人それぞれで別に構わないと思いますから。

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お茶道具屋さんと

お茶のお稽古が終わりになったある日の夕方、お道具屋さんが来ました。
京都を本店とする老舗の茶道の道具を扱うお店です。
N先生のご自宅は九州S県にある為、わざわざ、お道具屋さんが京都から行商に来るのです。

お道具屋さんは両手いっぱいに抱えられるサイズの、大きな箱に、20種類程の道具を入れて風呂敷に包んで運んできます。
道具とは、まず、床の間に掛ける掛け軸数種類。
家元が書いたもの以外に、お寺の高僧が書いた掛軸もありました。

無事是貴人と書いてあります。

つつがなく暮らしている人は、それだけで貴いひとであるという意味です。
迷いはおろか、悟りにも留まらず、ありのままでいる人が最高のひとと考えるそうです。

他に、お道具屋さんが、持ってきてくれた道具は、棗(お抹茶を入れる漆器)数種類。
棗にも、表面がつるつるしたものもあれば、ざらついたものもあります。
蓋の裏に記号のような印が書いてありますが、これは「花押(かおう)」と呼ばれ、お家元や茶人がその品を「お好み」としたことを指すのです。

掛軸も棗も何百種類とあります。
茶道のお道具は、その他にも水指・棚・蓋置き等、品種類が何十とカテゴライズされ、水指ひとつとっても、棗同様、何百種類とあるのです。

お茶道具の値段の話をすると、この数十年で随分下がったように感じます。昔の半額で売っていることもあるのです。
その背景には、お茶人口が減っていることにあります。

「茶道に携わる人の大半は、ご高齢の上の免状をお持ちの方が多く、若者は少ないどすなぁ。茶道人口をグラフ化するならば、「逆ピラミッド」の現象になってはりますよ。」
お道具屋さんが苦笑いをされていました。

茶道の世界の独自性ゆえ、とっつきにくさもあり、なかなか入れない・続けられない人も多いですが、より多くの人に、茶道の奥深さを楽しんでほしい…と。

茶道は慌ただしい日常から離れて、独特の世界の中へ入ることが出来ます。

お見合いパーティー体験談でお茶をやっている人同士盛り上がった、という話を見ましたが、人口が少ないだけにここで盛り上がれたのは貴重なのかもしれませんね。

無事是貴人、と書かれた掛軸を見ながら、欲に振り回されることのないように、自分を戒め、つつがなく過ごせるありがたさを噛みしめました。